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[Glitterfy.com - *Glitter Photos*] シングルママと障害児ヒナの2人で成長日記 記事)「働きたいのに働けない!」と命を絶つ人がたえない悲劇

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記事)「働きたいのに働けない!」と命を絶つ人がたえない悲劇

母子手当てや障害手当て・生活保護など公的手当てをうらやましがったり、支給されている人を目の敵にする人がいる。

「私だって働かないで手当てがほしい」という人もいる。
 
この記事に書かれてるように、「働きたいのに働けない」苦しみは働ける人にはわからない。

特に、独身時代にバリバリ働いてきた女性にとって、仕事を失う事の喪失感ってはなはだしいものがある。

自分の存在意味がなくなってしまったような気さえする。

だから、働ける人が手当てをうらやむなんてもってのほかだと思うし、

手当てをうらやむより、働ける環境にあることを喜んだほうがいいと思う。

働く事は国民の「義務」であるとともに、「権利」でもあると思う。


「働きたいのに働けない!」と命を絶つ人がたえない悲劇

http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110712/221456/?top_updt

(以下転載)

「原発で手足ちぎられ酪農家」

 牛舎の黒板にこう書き残し、福島・南相馬市で酪農を営む50代の男性が自殺したのは1カ月前のこと。同じころ、福島県内に住む瓦職人の方々に瓦屋根の修理依頼が一気に押し寄せ、2人が過労や心労から自殺した可能性があると報じられた。

 仕事ができなくて命を絶つ人、仕事がありすぎて命を絶つ人──。

 仕事って、いったい何なのだろうか? そんなことを改めて考えさせられた。

 そして先日。今年6月の自殺者数が前年同月比7.8%増の2996人に達し、6月単月としては月別統計を取り始めた2008年以降、最多に上ったことが分かった(警視庁調べ)。

 このご時世、いかなる人にとっても保証された将来などなく、「自分は永遠に仕事ができる」と確信している人はそうはいない。どんな会社に勤めていても、いつどうなるか分からないし、私のようにフリーで仕事をしていれば、なおさらである。

 それでも、「明日は仕事があるのだろうか?」と不安を抱えながら、毎晩、寝床に就くことはほとんどない。

 当たり前のように朝起き、朝食を食べ、着替えて満員電車に乗る。会社に着くと、働いて、働いて、疲れ切る。「あ~、こんな仕事やってられるか~」と思いながらも、また、満員電車に乗り、家に着いてお風呂に入って、再び、寝る。

 時には、「うちの会社、大丈夫かな」とか、「何となく窓際に追いやられているかも」などと、心配になることもあるが、その翌日に、会社がなくなったり、仕事がなくなる確率は極めて低く、仕事が“ある”生活が繰り返されていく。

 おそらく、前出の酪農家の方も、瓦職人の方も、3・11以前は、“今”の私たちと同じだったのではないだろうか。

 もし、突然、明日、仕事がなくなったら……。

 今、私たちの働き方が問われている。少しばかり大げさかもしれないけれど、「しっかり考えろ。そうしないと、取り返しのつかないことになるぞ!」と、冒頭の方々の残念な出来事は訴えているような気がしてならないのだ。

 これまでにも仕事の意味について考えてきた“つもり”だった。でも、それは「仕事がそこにあるものだ」という立ち位置からで、ひょっとすると、至極真面目に、腹の底から真剣に、仕事について考えてなんていなかったんじゃないか、と思ったりもする。

 そこで、今回は、仕事がある、ない、の境界線上に立って、仕事のことを考えてみようと思う。

 とはいえ、私自身、仕事という枠内に完全にいる人間なので、どこまで本質をとらえられるか自信がない。それでも、考えを必死に巡らせる時に脳内に登場するサルやら、ウサギやらの力を借りて、とことん考えてみようと思います。

日常の一部だから真剣に考えることのない仕事の意義
 「『働くのはお金のため』なんてことを言うのは、自分が納得できるような仕事ができていないことの言い訳。そんなこと言えるのは、ぜいたくもんだけだ」

 生活保護を受けている人たちの取材を重ねていた知人が、ある時、1人の年配の男性にこう言われたと打ち明けたことがあった。

 もともと知人は、生活保護を受けている人たちがどういう生活をしているのかを把握しようと、取材を始めた。そこで、ほとんどの人が、「働きたい。人のために働きたい。金じゃないんだ」と必死に仕事を探していることを知った。取材をするまでは、そんなに多くの人が「働きたい」と願っているとは考えていなかった。 そして、どうやっても働く場が得られなくて、命を絶つ人が後を絶たない現実にショックを受けた。

 「生活保護が受けられれば、とりあえずは暮らしていける。なのに、どうしても働きたい、って必死に仕事を探すんだよ。仕事ができないっていうのは、『お前は生きている意味がない』って、社会から言われているような気持ちにさせるんだよね」

 知人はこう語った。

 厚生労働省は、昨日、生活保護を受けている人の自殺率が、10万人当たり55.7人で、全国平均の約2.2倍だったと発表した。2009年は10万人当たり62.4人、2008年も54.8人で、いずれも全国平均の2倍以上だった。

 自殺に至るには、複数の要因が重なっていることが多い。生活保護を受けて、とりあえず生活できたとしても、経済的不安や将来への不安は重くのしかかることだろう。社会的に孤立することも関係しているかもしれない。そして、「働けない」ことも、最後の決断の大きな引き金になったことは、想像に難くない。

 ところが、「自殺が多い」という結果が出ると、必ずと言っていいほど精神疾患との関連が指摘され、心のケアという、思考停止ワードの1つ(少なくとも私はそう考えている)で片付けられてしまうことが多い。

 生活保護者に対してもそうだった。

「心のケア」という思考停止ワードの弊害
 2008年、生活保護者の自殺率が高いことが分かった時、「生活保護受給者の精神疾患患者の割合は16.4%で、全人口の2.5%を大きく上回る(2008年のデータ)。これが自殺率の高さに関係している」としたうえで、「生活保護受給者には、心のケアの支援も強化させましょう」と、言葉は悪いが、極めて短絡的に片付けられてしまったのだ。

 確かにうつ病と自殺は関係が深いし、心のケアは大切なので、その取り組みを否定する気などさらさらない。彼らの不安を聞いたり、孤立しないようにすれば、救われる人は少なくないだろう。 たった1人でも救われる命があれば、それだけでいいじゃないか、と思ってはいる。

 でも、「生活保護を受けられれば、とりあえずは暮らしていける」状態にありながらも、「働きたい。でも、働けない」人への心のケアは、いかなるものが有効なのか? いかなる心のケアが効果をもたらすのか? 私にはよく分からない。

 心のケアよりも、仕事を見つけることの方が、大切なんじゃないか、と。仕事がなくて、余ってしまった人たちをなくすことが、最大のうつ病対策なんじゃないだろうか。

 そもそも、うつ病は脳内のホルモン分泌異常から生じる症状で、脳内のホルモン異常は睡眠不足から起こる。

 うつ病だから眠れないのではなく、眠れないからうつ病になる。眠れないという状態が続いたり、睡眠時間が足りなかったりという状態が続くと、「昼夜リズム」が乱れて脳内ホルモンの分泌異常が起こり、うつ病になることが多いのだ。

 要するに、うつ病を防ぐには、眠れる状態を作ること。「働きたい。けど、働けない」人には、仕事に就くことが最大の特効薬になるはずだ。

 働ける場を得られれば、安心できる。安心すれば、少しは眠れることになるだろう。働けば肉体だって使うだろうから、身体が休養を必要とし、眠くなる。十分な睡眠が取れて肉体が元気になれば、心だって元気になる。 働くことさえできれば、精神疾患など患わずに済むし、元気でいられるのではないか。

 「仕事がある」ことは眠れない状態を取り除くだけではない。「仕事があるだけ」で、 精神的にも肉体的にも、健康になることが多くの調査でも示されているのである。

 たとえ経済的状況が改善されなくとも、賃金の低い不定期な仕事であっても、働いている人は働いていない人より、活動的で自立心が高く、精神的にも肉体的にも安定していて、健康であることがいくつかの調査で明らかにされている。

 一方、仕事を一時的に解雇された人は、その後も賃金をまるまる得ていたにもかかわらず、精神的にも身体的にも健康度が低下した、との報告もある。

 「生活できても、働きたい。それでもどうやっても働く場が得られなくて、命を絶つ人が後を絶たない」という状況があるとするならば、心のケア以上に、「働く場」をどうしたら提供できるのか、ってことを考えなくてはいけないのだ。

そう言えば、先日、仕事で佐賀県を訪れた時に、時間があったので佐賀城を見学した。そこには数人のボランティアの方がいて、その中の1人の方に城内を案内してもらった。

 数年前にリタイアして勤務先だった福岡から、生まれ育った佐賀に戻ってきたと言うその男性は、実にイキイキしていて、楽しそうに案内してくださった。自分で作ったという戦国時代の石高ランキング表やら、殿様の部屋の間取り図などを、うれしそうに見せてくださった。

 そこで、「もともと歴史に興味があったのですか?」と聞いてみた。

 「全くありませんでした。リタイアするまでは、毎日、好きなことやってのんびり暮らそうって思ってたんですけど、いざ、働かなくていい、って状況になると働きたくて仕方がなくて。で、ここで働かせてもらっているんですよ。ボランティアですから、お金はもらえませんけど、毎日楽しいですよ」

 彼はにこやかにこう答えた。

 ボランティアは「人のための奉仕活動」であって、仕事ではない、とされることが多いが、その男性にとっては、間違いなく「仕事」だった。

 「自分」がやりたいから、自分の働きたい、という欲求を満たすためにボランティアをしているのだ。

仕事は人が人でいるために欠かせない
 仕事が日常に組み込まれていると、ついつい、仕事とお金は対をなしていると考えてしまいがちだ。しかし、仕事がある日常から外に出た人にとって、仕事は仕事、お金はお金。本来、人間にとって仕事っていうのは、お金とは別個の次元に存在するもので、生きていくうえでお金も仕事も大切なものなのだ。

 当然ながら生きていかなくてはいけないのだから、仕事よりもお金の方が優先順位は高いかもしれない。でも、「働きたい」と仕事を求めるのは、「もっと稼いで裕福になりたい」というのとは訳が違う。生きていくためにはお金が欠かせないように、人が人でいるためには仕事が欠かせないのだろう。

 「だからさ、景気を上向かせればいいんだよ。そうすれば雇用は生まれる」。仕事の枠内にいる人たちは当たり前のようにこう言うけれど、果たしてそうだろうか?

 確かに、景気が良くなれば、ものが売れる。ものがたくさん売れれば、たくさん作らなきゃいけなくなるから、働く人がたくさん必要になる。でも、経営者の役目が、「少ない経費で、生産性を高める」ことにあるとするならば、人を増やさなくてもいい仕組みを考えるはずだ。

 単純に「景気を良くする=雇用が生まれる」なんて数式は成り立たない。「合理化だ、効率化だ」と言って、少ない人数で生産性を高めようと努力することだろう。そう、今まで散々やってきたことを繰り返すだけだ。

 なんせ昔は10人でやっていた仕事が、今では5人でできるご時世だから。CAだって、私が新人の時には360人乗りのジャンボに18人乗務していたが、今じゃ13人しか乗っていないことだってある。

 「より少ない人で、よりたくさんのものを!」──。そういう働き方をしてきたことが、仕事で眠れない人たちを量産した。

 景気との関係がないとは言わないけれど、「合理化だ、効率化だ」という働かせ方や働き方を大きく変えない限り、人が余り、その一方で過剰な労働を強いられるという、悪循環は続いていくことだろう。

 でも、ここで1つ疑問が生まれる。なぜ、人は働きたいと願うのだろうか? 仕事の枠内にいると、働かないで楽することを願うものだ。ところが、仕事の境界線上に追いやられると、多くの人が「働きたい」と願う。なぜなのだろうか?

私も、かれこれ働き始めて20年以上がたったが、働いているとイヤなことも山ほどあるけれど、いいこともたくさんあるってことは、幾度となく経験した。

 人から感謝されたり、誰かの役に立ったことを実感できたりした時には、やっぱりうれしかった。自分には無理だと思っていたことができたり、自分の力を十分に発揮できた時も、うれしかった。

 仕事があることで、アホな妄想をしなくて済んで、ホッとすることもあった。例えば(そう、これはあくまで例え話!)、彼が浮気しているような気がした時に、仕事がないといろいろと妄想して「探偵」になってしまうことがあり得るのだが、やるべき仕事があると、余計な妄想をしないくて済むし、探偵をしている時間だって確実に激減する。

 やるべき仕事があったおかげで、「何で私ってこんなことしてしまうんだろう」と自分の行動にがっかりせずに済む、というわけだ。

 だから、仕事がある、ことはうれしいことなんだと、素直に思う。仕事さえあれば幸せになれるとは、これっぽっちも思わないけれど、仕事があることで救われたり、ハッピーになれたりすることは実際に多い。

 仕事の枠の外に出された時、「働きたい」と人が願うのは、私が感じたような経験をしたことがあるからなのか? 働きたい、と願うのは、一度でも働いた経験を持つからなのだろうか?

 もし、一度も働いた経験がなくて、生活にも不自由しないだけのお金があれば、働こうとは、絶対に思わないのだろうか?

 残念ながら、今ここで明確な答えを私は出すことができない。そして、おそらくこの問いに、自信をもって答えられる人など、いないんじゃないかとも思っている。

 働きたいと願うのは、本能なのか? どうにもこうにも、仕事、というのは、訳が分からない。私の脳を駆け巡っているサルやウサギにも分からないようだ。誰か知っていたら、是非とも教えてほしい。

「程よく」という幸せな働き方を見直そう
 ただ1つだけ明らかなのは、仕事は私たちが生きるってことと共にあり、仕事がなくても、仕事がありすぎても、人を死に追い詰めるほど大きな影響力を持っているということだ。

 そして、今の世の中、仕事がない人もたくさんいるし、仕事がありすぎて追い詰められている人も山ほどいる。果たして、どれだけの人が、仕事が持つ「元気になるエネルギー」を十分に味わえるような、程よい働き方ができているのだろうか?

 ひょっとすると、私たちはこれまで、会社や社会に合わせた働き方をしすぎたのではあるまいか。その結果、何が起こったか? 「働きたい」と願う生活保護受給者が生まれ、過労死に至る人が量産され、10年連続自殺者が3万人を超えるという異常事態を招いたのではないか。

 いつの間にか、私たちは仕事に振り回されてしまっている。本来、仕事は人間を元気にする力を持っているものなのに、仕事に元気を奪われてしまっているのだ。

 いま一度、幸せな働き方というものを見つめ直す。 会社や社会に合わせた働き方ではなく、人に合わせた働き方を真剣に考えるべきなんじゃないだろうか。

 何でもかんでも、ワークライフバランスで片付けるのではなく、働ける人を増やし、余裕のある働き方を可能にするワークシェアリングについても、もっと真剣に考える。答えはすぐには出ないだろうし、私自身も「これだ!」という答えを残念ながら持ち合わせてはいない。

 でも、幸せな働き方をしたい、仕事でしか得られない、ちょっとした幸せを、一人でも多くの人が感じられたら……。「そんな世の中だったらいいなぁ」と願いながら、今日もまた、仕事をするのだった
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仕事が無くて自ら命を絶つのは分かるけど、仕事が有りすぎてそうする人も居るんですか。汗
過労で亡くなるならまだ分かるけど…
前者の方が多いだろうけどね。

りさ

http://risadei.blog.so-net.ne.jp/

No title

ヒナままさんのおっしゃるとおりですね。
このご時勢ちゃんと仕事があり働けることがどんなことなのか
考えてみてほしいです。
わたしも求職中の身なんですけどね、早く働きたいなと思います。


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Re: タイトルなし

りささんこんにちわ~

> 仕事が無くて自ら命を絶つのは分かるけど、仕事が有りすぎてそうする人も居るんですか。汗
> 過労で亡くなるならまだ分かるけど…
> 前者の方が多いだろうけどね。

世の中、何に不満をもつか、何に耐えられないかは人それぞれなんだな~ と思いました。

こうしてみると、私って相当図太いんだな~って思います ^^;

Re: No title

michanさんこんにちわ~

> ヒナままさんのおっしゃるとおりですね。
> このご時勢ちゃんと仕事があり働けることがどんなことなのか
> 考えてみてほしいです。
> わたしも求職中の身なんですけどね、早く働きたいなと思います。

michanさんも求職中だったんですか~

アメリカの雇用状況はものすごく厳しいらしいですね><

仕事って、してる時はゆっくり休みほしいな~ なんて思うんですけど、いざ失うと、働きたくなるものですね。人間って不思議、というか、都合いいですよね ^^;
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